宇宙のどこかで星が爆発しても、明日も平和でありますように
詩
宇宙のどこかで星が爆発しているかもしれないけれど、ぼくは薄っぺらい安穏と、仄暗い不安が、風にまかれてふわふわと漂っている。
毎日は無表情に目を合わせずに通り過ぎていくし、推しは明るくライブ配信をしているし、友達は生きにくさをSNSで力説している。
こんな、きみが悪い平和が、明日も続きますように。
詩
宇宙のどこかで星が爆発しているかもしれないけれど、ぼくは薄っぺらい安穏と、仄暗い不安が、風にまかれてふわふわと漂っている。
毎日は無表情に目を合わせずに通り過ぎていくし、推しは明るくライブ配信をしているし、友達は生きにくさをSNSで力説している。
こんな、きみが悪い平和が、明日も続きますように。
詩
無責任な言葉には、酸素より軽いやさしさがいっぱいつまっている。風船のように膨らんで、風に吹かれて、どこかの枝に引っかかって、やがてしぼんで、最後はゴミ箱に放り込まれる。
詩
忘れたいた夢や希望はセピア色に染まって、ところどころ欠損していた。ひどくモザイクな夢の起源は解析不能で、想像するなら、それは希望じゃなくて、ただ未来を舐めた軽薄な妄想でしかなかったのかもしれない。未来も、夢も、つどつど、流行りや、甘えや、反抗心や、あこがれに揺さぶられて、軸なんてなくなって、風船のように飛ばされていくんだから、叶わないことは、別に悪いことでもなくて、今が良ければそれでよくて、そんな今がつづけばいいなって、願ってる。
詩
食欲旺盛なピンク色は、底なしのように心を貪っていく。黄土色をした良心なんて、大切にしないといけないシーンじゃないなら、吐いて捨てても誰も咎めやしない。なのに無様に縋りつくのは、それこそ腐りかけの良心だったりするもんだから、その底無しの良心は何から生まれてるのか、ぼくには見当もつかない。
まぁ所詮、理性なんて楔の果てに生まれたもだ。
詩
「胸が張り裂けそうなほど悲しいです」
本当に? と思ってしまうのは、ぼくが薄情だからかな?
会ったことも、話したこともない人のために、そこまで心が痛んでしまうのかな?
ぼくは、そんなふうに悲しめない。
1年経っても胸を痛めてくれますか?
3年経っても引きずっていてくれますか?
10年経っても思い出してくれますか?
どこまで、はい。と答えられるかな。
ぼくは1日も悲しんであげられないかもしれない。
悲しみの形容は、強いほど、より悲しんでくれているように見える。
でも、嘘くさくもある。
わたしが、歪んでるだけなら、まぁ、いいのだけれど。
詩
大人になると。みんな、大人になるんだと、思っていた。
でも、そうじゃなかった。心は、子供のまま、体だけ、大人になった。
若いつもりで、老いていくのは、心が、置き去りになったままだから。
そう理解した時、やっと、少しだけ、成長した気がした。
詩
今日、星になったひとがいて。今日、芽吹いたひとがいて。
ひとは、右肩上がりに増えつづけて。15年前の歌詞では60億だったのに、今では80億になっていたり。このまま雨粒の速度でふえたら、25年後には100億になるそうだ。
地球は、もうひとを支えられないなんていうけど、この国の若者は年寄りを支えられないとかいっているんだから、いつか地球はひとを見放すんだろうな。
ぼくたちは、それでも、星になるまでは地球に根を張って生きていくんだけど、プラスチックをやいた匂いを嗅ぎつづけて、不健全に青白く枯れてしまいそうでイヤになる。
1999年に降臨することを忘れた恐怖の大王が、きれいに、さっくりと、世界終末させてくれるのが、案外、救いだったりするんだろうな。
詩
すごくなりたかったら、すごい人に認められて、すごい賞をとって、すごいと言われればいいんじゃないかな。
でも待てよ。
すごい人って何がすごいんだ? すごい賞ってなんですごいんだ? すごいと言われればすごいのか?
いやいやいやいや。
原初のすごいは、どんな基準から、どんな価値観から、どんな感性から、産声をあげたんだ?
憧れか、尊敬か、畏怖か、嫉妬か。
すごいって。なんだ。
詩
いっぱい、欲しくなってしまうし、いっぱい、あげたくなってしまうし、与えてくれないと悲しくなるし、受け取ってもらえないと辛くなるし、ほんと、ろくなもんじゃなくて、こんな感情がなかったら、きっともっとさらっと生きていけるんだろうけど、残念ながら力強くすくすくと勝手に育つものだから、恐怖でしかないんだけど、やっぱりなんだかんだ嬉しくなったりするもんだから、不安と嫌悪感を抱きつつもついつい育てちゃう。
詩
自分ってなんだろう。らしさってなんだろう。
生き様、ファッション、メイク、振る舞い、トーク、性格、etc、etc、etc。
自分と他人の境界線はどこだろう。自分のカタチの定義はどこだろう。
ない人もいるだろう。でも、ないことすら、そこにあるのならば、やっぱり自分のらしさであって、でも他人にもらしさがあるのなら、自分らしさって、やっぱりないのかもしれない。
だから、結局、あるがままでしかない。
キラキラした他人も、くすんだ自分も。
誰かの劣化コピーなんだ。
詩
いつかいいことあるよ。
いつあるかは、神様じゃないぼくにはわからない。でも、この言葉に騙されて、生きつづけている人がたくさんいたりする。
みんな、ほんとうは、ちょっと気づいてるし、ちょっと諦めてるし、でも、ちょっと期待だってしてるから、しずかに、波風たてずに騙されてる。
どうかな? 君も、一緒に騙されてみない? たいしていいことはないかもしれないけど、どうせ、たぶん、100年も生きられないんだしさ。
ぼくと一緒に、騙されて、ちょっと生きてみようよ。
詩
この世に必要のない人間はいないと、君はいうけれど、その根拠はとても曖昧で、ぼくが必要な理由にはならなかったし、なにより君が必要としてくれていないんだから、いったい何を信じろっていうんだろうと、ベランダのプランターで栽培しているパセリに愚痴ってみたけど、やっぱりパセリの声は第二成層圏より高すぎて聞き取れないから、ぼくはまるでひとりごつしかないんだ。
詩
ダサい、ウザい、キライどれも感想。
でも、感想があつまって、感想を超えた何かになって、その何かがすごいパワーをもって、その何かをつかって攻撃をする人がでてきて、感想は心を撃ち抜く綿毛のような決戦兵器コトノハになるんです。
ばきゅーん。
ほら、今日、誰かの心が吹き飛んだ。まるでゴミのように。ね。
詩
ぼくは不死身だ。
ひとが、いつか、かならず、死ぬと知りながら、ぼくが死ぬなんて信じられない。
ニュースで流れる、他人の死は、やっぱり他人事で、全てが遠く、まるで小説のなかのできごととしか思えない。
毎日、毎日、土砂降りのようにやってくるイベントや情報で、死の輪郭は、ひどくぼやけていて、しっかりと探さないと見つからなくなった。
死の輪郭が見えてきたとき、それはどんな姿なんだろう。
まだ、不死身のぼくには、みえてこない。
詩
未来のために今を生きている。
勉強、受験、就職、仕事、老後、そのあとの死。
未来のために今を殺している。安穏で安寧な死のために今を殺している。死のために死に続ける。
今を生きて。今を殺さないで。
未来は、君が思っているより、しぶとい。
詩
天国と地獄。
ぼくは信じていない。
でも、あったらいいな。とおもってる。
天国にいきたいとおもったら、優しいことしたくなるでしょ。
地獄におちたくないとおもったら、悪いことしなくなるでしょ。
天国と地獄の証明。だれかしてくれないかな。
詩
コレがあるから生きていけるみたいなものはなくて、だからといって死んでしまうわけでもなくて、生きていると死んでいるのあいだを、フワフワと漂っているあいだに毎日がこっちを見ながら通り過ぎていっちゃうものだから、ちょっとあせったりするんだけど、やっぱりコレがあるから生きていけるみたいなものは見つからなくて、気がついたら、マンガのヒロインが死んで涙ぐんだり、犬があごを地面に擦りながら転がり過ぎていく動画を見て笑ったりして、やっぱりキラキラ生きてはいないけど、仄暗く死んでるわけでもなくて、今日がまたこっちを見ながら通り過ぎていくのを、昨日より少しだけ愛おしく見送るんだ。
詩
処女だとか童貞だとかが、自らを語ることばの一つになって、代名詞のようにキャラクターとしてなりたっているのには辟易としちゃう。
それが守るべきものなのか捨てるべきものなのかも定かじゃなくて、いずれにしても適切なタイミングを間違えると悪口を言われるものだからやっかいだ。
適切なタイミングっていつだよ成人式かよってつぶやいても、誰も答えてくれないし、いつかふさわしい人が現れるみたいな乙女チックな妄想も、現実が素知らぬ顔をしながら叩き壊していく。
どっちでもいいんだけどね。みんなぼくにとっては他人だし、他人からしたらぼくは他人だし。他人のことなんて、そんなに気にしても仕方ないんだから、処女だとか、童貞だとか、どうでもいいんだよね。
詩
ぼくたちは、わかりあえない。
でも、それは当たり前で、みんな、別の宇宙で生まれた宇宙人だから。
この世界で、ひとの言葉を学んだから、言葉はかわせるけど。
でも、それは当たり前で、みんな、別の宇宙で生まれた宇宙人だから。
意思疎通はするけど、心の奥では他人事で、共感とか理解とかそれらしい言葉を使っているけど。
でも、それは当たり前で、みんな、別の宇宙で生まれた宇宙人だから。
わかりあえないんだ。
だって、ぼく以外、全員宇宙人だから。
詩
君に伝えたいことがあるんだけれど、それは脳の中心ではじけるちっぽけな電気信号で、言葉にするとなんだかスパークしそうで、静電気みたいにぼくの手から君の手へとつたわる想像をする。
愛してるって、言葉にするととたんに薄っぺらくなるけど、ぼくの心臓は、いまも君のために不規則な心電図をつむぎつづける。
誰もいない夜に、空を見あげると、宇宙のトンデモ技術が愛を計算しているみたいに、星々が瞬く。
この気持ち、脳の化学反応が、光の速さでとどくのを願って、ぼくはまた愛を、電気信号を、おくる。
詩
愛してる。
最近は誰に言ったんだろう。って思い出せなくなる。
すごく大切な意味のある言葉なのに雑にささやけてしまうものだから、とても愛おしい言葉。
あした、いや今日でもいい。誰かに愛してると伝えると、最新の愛してるが記録されて、二番目以降の愛してるは、少しずつ輪郭を失って、さらさらと風にのって風になっていくんだ。
愛してる。
詩
世界に誰かに君に愛されていなくて、独りぼっちでもファミレスでオーダーすれば店員さんがジュージューと音のするハンバーグを運んでくれて、そこに愛がつまっているかといえばきっと詰まってはいないんだけど、かわりに肉汁とチーズがギューギューにつまっていて、やっぱりアツアツでおいしかったりするもんだから満足しちゃって、あぁぼくが不幸だとおもっていることはこの程度なんだなって、帰ってライブ配信でもみるかってなっちゃうぐらいに、ハンバーグはおいしい。
詩
ひとを貶した君が、ひとが貶されたのをみて、ひとを貶すなと咎める。
君はとても正しいけれど、間違ってもいる。それでも正論を言わなければならないことには同情するよ。
まぁ、都合のいい人生を生きているようで、残念だねって祝福をしてあげたい。
詩
透明な空とアスファルトの間。
ぼくたちがひび割れる音は、雑音にのまれる。
すれ違う大人は、鈍色の瞳から不協和音を奏で、嗤って通りすぎていく。
かつての透明度を見失い、雑音にまみれて、ぼくたちの音を消していく。
わかってほしい。たったそれだけの言葉が朽ちて。
きづいてほしい。たったそれだけの言葉が腐って。
やさしくしてほしい。たったそれだけの言葉が枯れて。
アスファルトの上にヘドロのように堆積していく。
幾重にも重なりつづけた声は、自重で押しつぶされ、固く硬くかたく。
化石になった。
エッセイ
空虚。苛立ち。絶望。
そんな言葉のすべてが、踏み倒されるぐらい幸せに愛されていない誰かに出会ったとき、びっくりするほど惨めで恥ずかしい気持ちになります。
結局、自分が可愛いんだろうなぁ。って、改めて自分のことを大嫌いになってしまいそう。
そして、やっぱり嫌いになんてなりきれずに、気がついたら可愛い可愛いして甘やかして、生きづらいとか糖衣でつつんだような言葉で慰め始めたりするんです。
だから、もう死ねないよね。
結局、空虚な自分も苛立つ自分も絶望する自分も可愛くて可愛くてどうしようもないんだから。
エッセイ
事故にあって死にたい。は、語弊があります。正確には、単独事故で死にたいです。
事故で死ぬ。事故は色々あるのだけれど、たとえばトラックに轢かれて即死したとしたら、トラックの運転手が業務上過失致死とかいうながったらしい罪状で捕まります。
かたや願いを叶えて、かたやその犠牲者となります。そんな自分勝手な願いをいけしゃあしゃあと言ってしまいたくありません。
なので、ぼくが事故死した言いだしたときは、単独事故を前提としていますので、あしからず。
詩
論理的に正しいことを言っていれば傷つかない。反対されたって傷つかない。
だってそこには、君の意見がないから。
物理的に倫理的に摂理的に導きだされる答えと、反対意見がぶつかり合っているだけで、君は傍観者だから。
そして、賢いふりをして冷笑していると、本当にそんなレッテルやタグ付けがされるから、さぞ心地よいですね。
論理も物理も倫理も摂理もどうだっていいんだよ。
ただ、君の意見、きかせてよ。
詩
みんなで非難して、同じ想いを共有して殴りかかる。
悪意のガソリンをくべて、暴力というガスを吐き出し、加速していく。
いま、君たちは一つの輪になって、みんなが繋がっている。
共感の名のもとに。
そして、それを、人は、いじめといいます。
詩
不満や違和感や苛立ちがファッションになって消費されていくし、痛みすらアートになってもてはやされるし、人を見下して笑うやつが賢いみたいになってるし、うわっつらの綺麗事がやたらと共感されてたり、どこまでが現実でどこからがフェイクなのかわからないから、やさしい世界とゴミみたいな世界が隣りあってて、でもそのどちらも愛さないと生きていけないなんて、要するにクソみたいな世界なんですけど、そんな世界がつきぬけて美しいことにイラっとしちゃうんです。
詩
価値観が合わないというほどの確固たる価値観ってあるのかな? いやいや、価値観って言葉が使いやすいだけじゃないかな? ただの違和感じゃないかな? 「なんか違うなー」をかっこよく言葉に表すと価値観いうんじゃないかな?
確固たる価値観があるなら教えてよ。理解する努力はするからさ。ちゃんと言葉にしてつたえてよ。見合うように努力するからさ。
そのかわり。気分で価値観を変えないでね。
それだけ、価値観が安っぽくなるから。
詩
怒りに鈍感になる。怒りから目を逸らす。
怒りを表現すると、怒りを否定される。
否定された怒りは、高音を奏で、高熱を発して、あらゆるものを溶かしながら、ゆっくりと、ゆっくりと、沈んでいく。
怒りに鈍感になる。怒りから目をそらす。
忘れ去られた怒りは、暗がりの底で、静かに、冷えかたまり、いまも、佇んでいる。
詩
命は、死んだら星になるという。
だとすれば、戦場の空はかがやく星々で満ちているんじゃないか。
だとすれば、宝石箱のような夜空に望遠鏡をむけるんじゃなくて、祈りを向けて目を閉じるんじゃないか。
だとすれば、世界終末のとき、最後の命が見上げる夜空は、果てしない光でつつまれているんじゃないか。
ぼくたちは、星をなにに染めて、見上げているんだろうか?
詩
スマホの窓からみえる、そとの世界はキラキラがいっぱい。
インフルエンサー、YouTuber、モデル、デザイナー。
キラキラした仕事をしているひとたちが、キラキラした写真や言葉を載せている。
自分のいる世界が、ひどく汚れて穢れてけがれているみたいだ。
外の世界には、綺麗な奇麗なきれいな世界が数々多々あるんだ。
スマホの窓からみえる、そとの世界はキラキラがいっぱい。
キラキラキラキラキラキラキラキラ。
詩
歌詞をきかない。
歌詞に共感をしないし、歌詞で革命もおきなかったし、歌詞を理解もしなかった。
だから、何でもきけた。邦楽も、洋楽も、クラシックも、サントラも。
ぼくが必要としていたのは、言葉じゃなくてメロディだった。
メロディで癒されていたし、励ましもされていた。
歌詞をきくと、メロディが流れ出していく。だから、ぼくは歌詞を必要としなかったんだろう。
ほんとうは、歌詞も、メロディも、すべて受けとめて、すべてを享受できればよかったのだろうけど。
ぼくはそこまで器用じゃなかったみたい。
詩
雨が降る。通勤電車の中。スマホ見る人。
雨音は外へ、外へ。
画面の中はどんな天気だろう。たいてい画面の左上にあるロゴは太陽だろうか。白地に浮かぶ黒い文字は雨粒だろうか。
湿度は外へ、外へ。
画面に浮かぶ感情は、やわらかな風だろうか。ほとばしる雷だろうか。
雫は外へ、外へ。
あなたのスマホの中、今日は快晴ですか。それとも。
ふと、窓から外を眺めたとき、鈍色の曇天のすきまに、薄色の青空がみえた。
詩
大切がひとがいなくなって、それが悲劇的なカタチをしていなかったとして、それでも悲しいのなら、それは、もう会えなくなることが悲しいのかもしれない。
その悲しみは、死んでしまった人に捧げた悲しみじゃなくて、自分自身に捧げた悲しみなのかもしれない。
詩
デジタルになって、言葉は、遠くへ、遠くへと、電気信号になって、届けられるようになったのに、だれにも受け取られずに、最果てへと旅立っていく。
影も、形もないけれど、誰にも認知されていないかもしれないけれど、それは確かに存在して、そして果てていって、原子、電子、素粒子、波動、それ以外のなにかになり果てて、価値も、意味も、意義も、それ以外の、すべてを失っても、そこにあったという事実だけは残って、残った証明も残さずに、最果てへと旅立っていく。
すべてが、なにもかもが、きえたとしても。
詩
友だちに2,000円を貸した。
小学校の頃から、お互いを知っていたけど、たぶんそれが最後だったとおもう。
ぼくは君のことを覚えているけど、君はぼくのことを思い出しさないでしょう。
別の友だちからお金を貸して欲しいって言われて、ぼくは断った。
小学校の頃から、お互いを知っていたけど、たぶんそれが最後だったとおもう。
ぼくは君のことを覚えているけど、君はぼくのことを思い出しさないでしょう。
君たちが、どんなふうに生きているのか、思いを馳せているのに。君たちにとって、ぼくは2,000円の価値もないんでしょう。
それが、とても残念です。
詩
幼い頃、蟻の命を、いくつ奪ったかおぼていますか?
命に意味があるのは、誰かが意味を与えたからで、その誰かは、もちろん、神様じゃなく、ただの他人だったり。
ぼくたちが、奪った蟻の命を数えていなかったみたいに、星は死んだ人たちを数えていないし、宇宙は死んだ星を数えていなし、世界は宇宙を認識しない。
だから、ぼくたちは、みんな根源的に無意味なんだ。生まれた意味も、生きた意味も、そして死んだ意味も、ほんとうはないんだ。
だから、意味のないぼくたちは、意味を与えあって、意味があるとかんちがいしながら生きている。
命は、道徳のいうとうり、ほんとうに平等なんだ。
すこし安心した。すこし、救われた気がした。
詩
「ふつうは」
なんて、言わないで。
まるで、ぼくが普通じゃないみたい。
普通に憧れて、普通を目指して、普通をよそおっていた。
でも、やっぱり普通じゃなかったって、見抜かれたみたいで、惨めになる。
あなたは、気づいていないでしょう。
「ふううは」という言葉は、自分を普通に、ぼくを異常に、ふりわけてることを。
あなたの意思で、あなたの価値観で、ぼくを定義して。
それが、酷く傲慢なことだなんて、気づいていないでしょう。
でも、うらやましいよ。
自らを、普通だって、まともだって、そう信じられることが、ぼくには、うらやましい。
その傲慢さが、ぼくには、うらやましい。
詩
拝啓。
生きにくい世界ですが、ぼくは生きています。
発達障害グレーゾーン、アスペルガー症候群、適応障害。わた菓子のようなパワーワードが、ぼくのなけなしの個性です。
でも、世の中には、もっと苦しんでいるひとたちが、数えきれないほどいて、その事実が、あなたはまだマシですよ。と告げてくるのです。
だから、苦しみきれず、ちょっとみじめな気持ちを抱えながら、今日も、生きにくさなど感じさせず、健気に生きています。
ところで、突然ですが、運命って、奇跡って、信じますか?
ぼくは信じています。そして、当たり前のように、感動もせずに、考えもせずに、消費しています。
価値のある運命と、価値のない奇跡を、神様のように、全自動でしわけていく。
運命も、奇跡も、求めていないものには、価値なんて、見出せません。
そう思ったとき、謙虚に生きたいぼくは、ぼくの傲慢さに、ちょっとガッカリしてしまいます。
この言葉を、詩を、見てくれた皆々様は、運命を感じていますか? 奇跡を感じていますか? それには、価値がありますか?
皆々様にとって、大切ですか?
ハルカナタ。詩人。
どうぞ、よろしくお願いします。